「お寺」と聞くと、あまり良いイメージがないようです。
「付き合いが煩わしい」「寄付が大変」「行事の参加がイヤ」などを、よく耳にします。
確かに、最近のご近所付き合いなどの希薄さから考えると、不向きな方もいるでしょう。
では、自分で体験した方が、どれだけいるでしょうか?
噂だけを信じて、所謂「食わず嫌い」はありませんか?
少なくとも、昭和40年頃から登場した「民営霊園」を求める以前は、殆どが寺墓地がでした。
お寺の中には、「寺檀関係」に胡坐をかいて、横暴な住職が居るのも、事実です。
ただ真面目に、お勤めされている住職が大半なのも事実です。
また「うちの寺の住職さんは、素晴らしい」などとは、あまり聞きません。
つまり、悪い噂だけが広まっているとも言えます。
ここで勘違いし易いのは、寺は住職個人の物ではない・・と言うことです。
施設が檀信徒のものなのですから、修復や改築の費用を、負担するのは当然とも言えます。
頻繁に寺に足を運ばないのは、個々の勝手ですから、使ってもいない施設の費用は支払いたくない・・では
道理が通りません。
本来、寄付とは個々の資力に応じて、応分の負担が原則ですが、檀信徒の数によっては、多額になる可能性はあ
ります。
また、葬儀や法事などを、同じ住職に依頼出来る「安心感」は、貴重です。
しかし、試しに求める訳にもいきません。
一つの目安は、そのお寺で、法事や彼岸以外の行事をどれだけ行っているか・・
例えば、「座禅教室」や「写経」などの、啓蒙活動です。
これにより、本来の「布教」への熱心さが計れます。
また、近隣の評判も大切です。
住まいの近くに、同じ宗派のお寺の有無も、必要条件です。
近所に良いお寺があれば、霊園での「宗教色」の問題も起こりませんから、一番安心とも言えます。
今一度、歴史」の重みや、伝統の良さを、再認識する必要がある時代かも知れません。